ネタ用語としての(使命感)という言葉をよく聞きます。
本気度が高いガチな人間もいるようですが。
買わなきゃ(使命感)
行かなきゃ(使命感)
観なきゃ(使命感)
やらなきゃ(使命感)
しなきゃ(使命感)
みたいなのが一番メジャーでしょうか。
そこまで自分の心を揺るがす何かがあるのならばそれは羨ましいことです。
揺るがすというか揺るがされる、踊らされるというのに近いかもしれません。
もう自分本意ではないみたいな。
大概がネタながら自らに課せられた使命を果たす責任感のようなものが発生するのでしょう。
オタクの方々に多いイメージがあります。
使命感...
自分に課せられた任務を果たそうとする気概
責任感...
自分の仕事や行為についての責任を果たそうとする気持ち
若干意味が違うながら責任感を調べて責任という言葉が出てくるのは何なのか。
基本的に使われる時は、ようやく発売する、オープンする、公開されるなどの新しいことへの事柄でしょう。
新しいことへの反応は人それぞれですが、興味津々なのが一般的でしょう。
しかし今の世の中、昔ほどはワクワク感が薄れてきているような気もします。
すぐに知った気になる、擬似体験した感覚になる、他者のレビューである程度分かる(字ではなく動画で観れる)など。
本来自らの手に触れる、足を運ぶ、目で見ないと本当の感動、感想は出ないでしょう。
にしてもそこまでのことをしなくても満足できるものでしょう。
最近改めて使命感を持ったことがあるのかと振り返ってみると面白いと思います。
(最近というか今年)
と、そんな僕は特に出てこず。
ブログの記事に関しても
書かなきゃ(使命感)
という感覚は薄れてきているのが現状です。
色んな使命感があるかと思えば、特に出てこない結末に。
(使命感)のよくある例
買わなきゃ(使命感)
行かなきゃ(使命感)
観なきゃ(使命感)
やらなきゃ(使命感)
しなきゃ(使命感)
打たなきゃ(使命感)
食べなきゃ(使命感)
飲まなきゃ(使命感)
慰めなきゃ(使命感)
抜かなきゃ(使命感)
明日に備えなきゃ(使命感)
寝なきゃ(使命感)
起きなきゃ(使命感)
結論
『なきゃ』
と入れば何でも使えるかと。
『なくちゃ』も同様。