卒業アルバムは燃やして資源にしたいわけですが、何だかんだ実家にありました。
ガッツリ読む気にはなりませんでした。
(卒業アルバムは眺めるという表現が正しいでしょうか)
パラパラとは少し眺めました。
しかしこういった物はもし同級生が犯罪や死亡した時、有名になった時に写真として所持しているのは良いことなのか。
言い方悪いですけど。
マスゴミとかは欲しがるのでしょうか。
何だかんだ小学生の頃の寄せ書き部分には、こんな自分でも意外と男女から寄せ書きがあったという事実でした。
今現在誰一人とも繋がっていませんが。
それ以降もお察しです。
(中学時代にも地味に書かれてましたが)
あと小学校の卒業アルバムには個人個人の住所が記載されているという事実。
(電話番号はない)
これは今の時代だとあり得ないのか。
それとも小学校までは一般的なのか。
というか写真として残る物は簡単に晒せる時代です。
芸能人の卒業アルバムの写真とかは有名ですが、アルバムに載った他人の写真も容易に悪用する輩はいるでしょうか。
流石にこの画像のアルバムの表紙だけを見て、何年のどこの学校のだ!と分かる人はいないでしょう。
同級生だとしても分からないでしょうが。
あと卒業アルバムがメルカリに出ていたら面白いですが、流石になかったです。
検索したら音楽CDやタレントの写真集みたいなのが出てきます。
そういえば小中学校の頃は運動会や修学旅行などの催事などの写真が廊下の壁に貼られ、購入できるアレがありましたね。
写真に番号が書いてあり、欲しい番号を紙に記載して提出するという。
1枚50円あたりだったかと。
モンスターペアレントの出現で家の子の写真が少ない!とか、あの子は何故多いんだ!とかで問題になったとも聞きますが。
よく2ちゃんなどでは好きな子の写真を買って色々使っていたとかも聞きます。
未だに大事に保管している方もいるでしょうか。
まあしかしこの文化も今の時代はないのでしょうか。
写真とは何か恐ろしいものです。
思い出や成長、時代背景が分かり懐かしめるものですが、今は悪用のリスクのが怖い気がします。
自身や家族だけの写真を眺めるのはいいですが、卒業アルバムのような学生時代の嫌いな人間が載っているものは、やはり見たくないものです。
タイトルに書いた『道を外した』という表現は何をもって道を外したのか自分で勝手に考えた言葉です。
別におかしい道を進んでいるつもりはありませんし、他の連中と比べて遅れているとか比較しても無意味です。
やっぱり過去の物を見てしまうと、どうしても卑下してしまうと思うので処理したくなります。
他人は色んな人生を歩んでいるだけで自分も歩んでいます。交わる必要のないことだと思っているので、何にも考えず生きていきたいです。
そう言いつつ、今回帰省の際に眺めてしまった自分は何だか情けない気がしました。
さっさと燃やせと。
※卒業アルバムを『卒アル』と略す言い方はキモいです。絶対に言いたくありません。
アルバムは『アル』と略さないだろと。
ベストアルバムとかは『ベスト』のくせして。
『ベスアル』とは言わないはずです。