面倒臭い=できる
「面倒臭い」と口癖で言う人がいるかもしれませんが自分なりに面倒臭いという言葉を解釈すると、時間がかかる、手間がかかるになります。いわゆるダルいでしょうか。
となれば面倒なだけであって「できる」ということになります。
できない側の自分からしてみたら、羨ましいと思う位。
「面倒臭い」と言いつつ、できてるじゃんと。
苦手も近い意味です。
苦手であっても、無理、できないということではなさそうです。
得意ではない、不得意なだけでできるという認識です。
食べ物でも食べることはできるということです。
まあ何が言いたいかというと
できる癖に、分かる癖に面倒くさがるなと。
贅沢なこと言ってんじゃねーぞと。
こちらはできない無能な人間なんです。
無能なりに色々やってるつもりですが、理解の面、努力の面は人並み以下なんでしょう。
ついでに言われて腹の立つ言葉をいくつか。
「こんなの小学生でも分かる(できる)」
「てこの原理を使えば一発」
「難しく考えすぎ」
「まだ(何で)できないの?」
「見て(やって)覚えろ」
「言ってる意味分かる?」
「俺はそうやって覚えた」
だまれ。
そう言う人間とは関わりたくないですね。
勿論僕の理解力不足、頭の悪さが原因であることは重々承知です。
まずは自身を変えないといけないのは分かっています。
教える側もこんな奴に教えたくはなくなるでしょう。
己の力で何事も解決する力を身につけないといけませんね。
これらを言われたのは過去の話ですが、今年はどうでしょうか。言われないように生きていきたいですね。言う奴も言う奴ですが。
それだけ苛立っている、腹が立っているという感覚も分かりますが。
書いていていいものだとは思いませんが、書き記しました。不快になられましたらすいません。
画像がいいのがなかったので、この画像で。
松岡修造の言葉は重みがあり、頑張れる源になります。
彼は暑苦しいだけじゃないんですよ。